人生を生きていると
妙な錯覚に落ちることがあります。
すべての人が、
すべての瞬間初めてなのに、
まるで、経験済みのような感覚。。。
歳を重ねたら確かに似た経験は数あるのだろうけど
でも、同じ結果になるとは限らない。
自分以外の人間は、妙に落ち着いてるように見えるけど、、、
違うんだよなぁー
みんな、初めての経験の積み重ねが人生なんだ。
人生、みんな、どの瞬間も初心者なんだよなぁ
このドラマ気になってて、15日(月)に観ました。
我が家に少しだけ似てる部分もあって、号泣大笑いしました。
ガンで余命宣告される映画やドラマ、それなりに数多くあると思います。その時の自分の状態や環境によって思い入れも変わってくるんだと思いますが、私は余命宣告される映画やドラマは若いころから号泣してしまっています。思い出す中で昔のドラマだと「私の運命」だったかなぁ・・・。
もし自分なら余命3カ月を宣告されたら、治療するだろうか?それとも受け入れて治療しないんだろうか?多くの人は5年生存率2~3%なら、無駄な延命治療は受けたくない。と思うんだろうが・・・でも、治療しない!と決めるのは相当な覚悟がいる。自分の命が3か月後に消えて亡くなる。んだから・・・。自分なら、どうするんだろう?今の私には答えは出ない。主演の木梨憲武は62歳の役柄。私は今年57歳なのでそんな遠い未来じゃない。
人生の後半に入り、私のブログのタイトルにも重なって、本当に色んな面で楽しみなドラマに出会えました。
月曜日が楽しみです(^▽^)
若いころ、人生には意味があると思っていた。
人生で何か成し遂げたい!
人生で大成功したい!
自分の人生には価値がある!価値があると思わせたい!
夢のない人生なんか無意味で暇なだけだ!
自分は他人と違う何かを持っている!
などなど書き出したら、こんな事が山ほど出てくるような、勘違い男でした(笑)
妻が病気になってから、私の考え方も180度とはいかなくても、かなり変わりました。人生に意味などない。成し遂げなければならないことは何一つない。人生は生まれてから死ぬまでの壮大な暇つぶしだ。
10代
20代
30代
40代
50代
60代
70代
80代
どこまで生きれるのか、それもまた運命だけど、私は今50代後半に差し掛かり、これからどんな暇つぶしに時間をかけるのか?自分でもはっきりしていないが、少し楽しみでもある。
少し惜しまれるのは、こういう事をもっと早く気づいていたら、色々と人生後半に対して準備も出来てたのになぁ・・・とは思う。
肩に力なんか入れる必要はまったくない。
私の身体はまだそんなに異常が出てないから、まだ人生はもう少し続いていくだろう。
なんてことを、ふと考えた朝でした。
1歳4か月の孫がいます。
長男の娘です。
一般的に孫が出来れば、「孫バカ」になる、じいさん・ばあさんが多いと認識しています。私は明らかにそうではないと思っています。現に1年4カ月経過してますが、その間、孫に会いたいなぁとは一度も思ってないからです。
昨年の年末2日連続孫の世話をすることになりました。
立って歩きまくりますから、そりゃ大変な2日間になりました。
でもねぇ・・・
可愛いんです(笑)
なんなんでしょう・・・・・?
孫ってやっぱり可愛いんですね(^▽^)/
老後のお金・・・。
この年齢になるまでほとんど考えた事もなかった。
年金・・・。
貯蓄・・・。
毎月10万円貯金を40年間続ける事が出来る人っているんだろうか?
その間、結婚をして、子供が出来て、子供が大学まで行くと・・・。
25歳から65歳までの40年間。
だからこその投資なんだろうけど・・・。
人は今にしか生きれないから・・・。
でも何の貯えもなければ、
65歳からの人生はそれまでの人生と比べて明らかに違うものになるような気もする。
定年してからの人生
「65歳からの人生を、
頭の片隅にでも置きながら生きていけよ!」
と、誰にも教わったことも言われたこともなかった。
機会を作って子供たちに伝えていこうと思う。
あけましておめでとうございます。
2024年になりました。
今回も
大晦日は厳粛な気持ちになり
元日は新たな何かが始まりそうな新鮮な気持ちになりました(笑)
さて、
ブログを書こうと思ったのは、約30年後、子供たちが今の私の年齢近辺になったとき、そこから生きていく参考になればいいなぁ。なんて思ったり、そんな大それたものでなくても、父親ってこんな人間だったんだ。だけでもいいし、とにかく実は中々親子でもお互いの人間性なんか全然分かってないし、何か感じてもらえればいいなぁ・・・なんて気持ちが湧いてきたので、書き始めています。
タイトルの「余命」は何か命に係る病気があるわけではないのですが、私の人生のステージも昨年大きく方向転換し、新たなステージに移行したということもあり、いつどうなるかも分からないこれから・・・どこかに「死」も意識しながら生きて行こうという思いもあり、「余命」というタイトルにしました。
肩の力を抜いて30年後の子供たちへのメッセージを書き続けてみようと思っています。